プラーナ(命のながれ)
where the Hell is Matt? (2008年)
当時CM(visaカードだったはず)にもなったこのダンス、この動画、覚えている人、知っている人、いますか?
今思えば、私が「プラーナ」という言葉を初めてきちんと認識したのは、このマットは一体どこ?のテーマソングである、「praan」(プラーナ)という曲だったかもしれない。
大好きな、大好きな動画だった。
ふと今週のある日、思い出してこの動画を掘って観てみたら、涙が出た。
と同時に、底まで落ちていた身体から、力が湧き上がってきた。
当時と今とで、世界は更に混沌としたように思う。
それがとてもとても悲しい。
けれど、あの時も今も、この動画を観て希望の涙が流れるのは、
国も人種も文化も性別も宗教も価値観も年齢も違っても、この曲の元となったタゴールの「いのちの流れ」という詩にあるように、このひとつの旋律、音、歓喜、プラーナの流れが、もともとは「ひとつ」であることを感じられるから。
プラーナ。
きっとベートーヴェンが奏でた旋律も、タゴールが詠んだのも、それそのものなんだろう。
そして、私も世界も、今もそれに生かされている。
踊ろう。
もっと。自由に。
タゴール「命のながれ」the same stream of life 訳・川名澄
(この動画のテーマソングの中で、ベンガル語で歌われている歌詞の元になった詩)
昼も夜も、わたしの血管を流れているのとおなじいのちの流れが、
世界のいたるところを流れて拍子を取りながら踊っている。
それとおなじいのちだ、うれしそうに大地の塵を通りぬけて、数えきれない草の葉にみなぎり、木の葉や花を激しく波打たせるのは。
それとおなじいのちだ、誕生と死の海のゆりかごのなかで揺られて、潮の満ち引きとなってあらわれるのは。
わたしは感じる、このいのちの世界にふれて、わたしの手足がうつくしく輝いているのを。わたしは誇らしくおもう、いまこのに、わたしの血のなかで太古からのいのちの鼓動が踊っているのを。
0コメント