養生ヨガで大切にしたいこと

もう3週間近くも経ってしまったのですが、

9月19日の特別クラスにご参加下さった皆さま、本当にありがとうございました。

皆さんの真剣な眼差しに支えられ、ひとまず無事に終了できたことに安堵しております。


曲がりなりにも「先生」という立場にありながら、

自分の弱さをさらけ出すことは本当にエネルギーが必要で、直前までなかなか、何をどう話したらよいのか定まらずにおりました。

けれど、その不完全さに留まることがまた、きっと自分を新たな可能性を開いていくことと繋がっていくだろうと思い、ありのままの私でそこに居させて頂きました。

かなり緊張しました。笑

温かく、真剣な眼差しで時間を共にして下さった皆さんに心から感謝申し上げます。

オンラインの講座の難しさは、参加している方々の反応が見えづらいこと。

対面だと、言葉はなくとも感じるいろいろな空気感が伝わるのですが、オンラインは時に難しさを感じます。

けれども、今回は皆さんの反応がなんとなく、ヒシヒシと伝わってきていたように思います。


終了後に頂いたアンケートの一部は、この記事の終わりにご紹介したいと思いますが、

質問にお答えする時間や、参加者の皆さん同士の交流の時間も作れなかったので、

来年の春頃、今度はインタビュー形式でまた、この特別クラスを企画してみようと思っています。


↑講座の一部写真



落語とは、弱さや脆さをさらけ出すこと

さてさて、先日、大好きだった三遊亭円楽さんが亡くなられました。

小さい頃、祖父のうちに行くと必ず見ていた笑点。

見るものが他になかったというのもあるのだけれど、いつしか楽しいから見るようになっていた笑点。

その笑点で、圧倒的な存在感だった円楽さん。

楽太郎さん(当時)の風刺と、歌丸さんのやり取りが面白く、大人になってからも時々見ていました。

私は笑点がきっかけで落語が好きになり、お笑いが好きになり、人生を豊かにしてもらったのでした。

(お笑いは、劇場に行くくらいはまっていた時期が長くあります笑)

円楽さんが亡くなられてからのここ数週間、YouTubeで笑点や落語の独演会での元気な姿を見聞きしては、泣き笑いして元気を頂いています。

そんな中、立川志らくさんが「円楽師匠について」というYouTubeの動画で、落語家について語られていたのを拝見しました。

その内容が、今回の特別クラスだったり、私の人生観と重なったので、ここにシェアさせて頂きます。


「落語家ってね、自分のかっこ悪いところ、恥ずかしいところ、それをさらけ出す、そういう家業なんです。
みっともないところを見せる。
だって、人間てみっともないんだもの。それを語るのが落語なんだ。


だから、円楽師匠も、恐らく談志の影響受けていたんだろうな。ちょっと麻痺がかかって、呂律もはっきりしないけど、“今の俺を見てくれ”っていうね。」


これを聴いたとき、ハッとしましたし、とても励まされた気がしました。

そうだよね、そうだよね。

人間ってみっともないし、とても弱い。不完全な生き物なんだ。

でも、だからこそ人生は豊かだし、だからこそ美しくも面白くもあるのだ。

それが人々の共感を生み、笑いを生み、涙を生み、また生きていこうと思える。

落語もそうだし、歌舞伎や浄瑠璃、オペラや絵画、小説、あらゆる芸術は、「不完全であること」の美しさをテーマにしている。

生きることって、不完全だからこそ、美しい。そして、その美しさこそが、完全なんだ。



いつも元気じゃなくたって、良いじゃない。それが、自然。


特別クラスの中でもお話ししてきましたが、私の人生は本当にいろいろありました。

皆さんの人生もそうだと思います。

いつも健康で、前向きで、健康であることを誰もが願いますが、実際にはなかなかそうはいきません。

私が養生ヨガを立ち上げる際に一番大切にしたかったことは、

「不調があっていいんだ」「変化していていいのだ」という自分への慈しみを、ヨガの中で育んでいくことでした。

この世のすべてのことは、変化しています。常に、私たちは変わっているのです。

それが自然なこと。

良いときもあれば、悪いと感じる時もある。それが自然なこと。

そして、そんな自分自身の変化について、ありのままに話せる場を作りたいと思ったのでした。


社会の中では、「完璧であること」が時に求められます。

一定の生産性を維持するために、変化しないこと、「よりよく生きること」を誰もが求めています。

特に、SNSで個人があらゆる情報を発信できるようになり、

他者と比較したり、他者から高く評価されることに自分の価値を見出す在り方が当たり前のようになっています。

完璧であることを求めているのはもちろん、社会でもあるのですが、

実は自分自身が誰よりも自分に完璧さを求めていたりしませんか?


養生ヨガを立ち上げる際に、診察室で中田医師の診察を何度か見学させてもらいましたが、

患者さんたちは皆、「変わりゆく自分の身体と心」に苦しみを抱いていました。

ひとつの症状が良くなれば、また次の不調を恐れ、探し、いろいろなストーリーと理由で完璧ではない自分に「だからダメなんだ」というレッテルを貼っているように見えました。

そして何よりも、「そんな私を許して欲しい」と叫んでいるように、私には思えたのです。

それはまた、「不調があるのが私なのだから、仕方がない」という無力感にも繋がっているようにも思えました。

不調を医者に相談することは大切なことです。それがいけないわけではありません。

けれども、それゆえに「不調がある私」から抜け出せず、逆に不調に囚われてしまう・・・。

皆、本当はそんな自分を自分を許し、健康に生きていきたいだけなのに。

大げさかもしれませんが、私が養生ヨガを立ち上げようと思った大きなきっかけは、

自分の「健康感」ですら、医者や他者の評価によって決められるという現状に、強く疑問を感じたからなのでした。



養生ヨガで大切にしていること

養生ヨガでは、ヨガの道を歩んでいく上で大切にしたい、5つのテーマがあります。

これは、クリパルヨガと姉妹関係にあるフェニックスライジングヨガセラピーの創始者であるマイケル・リーが話していたことで、ヨガの友人が私に教えてくれました。それにヒントをもらっています。


1.Compassion(慈悲)

自他ともに、生きとし生けるものへの慈しみの心を育むこと。

2.Authenticity(自分らしさ)

正直であること。誰になるのでもなく、自分自身であること。自分を知ること。

3.Vulnerability(脆弱さ)

自分の脆さ、弱さに正直であること。不完全で完全であるという在り方。

4.Equality(平等性)

苦しみは、形を変えて誰にでもやってくるということ。自分の苦しみに慢心するのではなく、かといって自分の苦しみを過小に扱うのでもなく、苦しみは比較できるものではない、ということを知ること。

5.Diversity(多様性)

同じ60分のヨガを受けても、人によって、また同じ人でも時によって体験は異なります。

違って良いのだということ。そして、その違いを「良い悪い・正しい間違い」の評価を加えず、認識すること。


これは、人生や社会の大きな柱になる大切な5つの要素ではないかと思います。

病院から案内されるヨガクラスなのに、まずは「身体の痛みや不安定さ、不調がある自分」にただ気付くことから始める。

不完全である自分自身に、慈しみを持って向き合う。

そして、それをまるごと許し、そこから歩みを進めていくためのアクションを選択する。

なぜ許せないのか、そこに何があるのか、時間をかけて、身体を通して自分の内面奥深くにあるものに触れていく。。。

これは、簡単なようで実はとっても力強い実践です。



仲間がいるということ

この5つのテーマは、コミュニティの中だからこそ気づき、学べることでもあります。

ヨガは確かに一人でも実践できることですが、やはり一人で育んでいけることには限界があります。

ブッダは、内面の学びの道には3つの要素が必要だと言いました。

・先生

・経典

・仲間

とくに、仲間の存在は本当に大きいのです。

養生ヨガクラスではシェアリングを大切にします。

苦手な方もいらっしゃると思いますが、ただ「聴く」だけでも、たくさんの気付きがあると皆さんが仰って下さいます。

アーユルヴェーダ基礎講座でも、同じく、体験をシェアすることを何より大切にしています。

うまくいったことはもちろんですが、失敗したこと、うまくいかなかったことも、正直に伝え合うこと。

そこから気付きや学びが深まっていきます。

ヨガは、一見体操のようでもありますが、決して体操やエクササイズではありません。

その実践によって、ひと一人の在り方を根底から変えていくような、力強く素晴らしい智慧の旅路なのです。

とてもパワフルで、素晴らしい旅路です。

その道を歩む同志の存在を、どうか皆さん、大切にしてください。

年明けは少しクラスはお休みとなりますが、より深くヨガとアーユルヴェーダを通して自分自身について学んでいく講座を開始します。ぜひそちらで学び合いましょう。


*ぜひ、ライブクラスに参加して下さい。動画ではそれ(コミュニティ・仲間からの学び)はなかなか得られない宝物です!



最後に

世の中にはいろいろな正しさが溢れています。

確かなこと、

正しいこと、

良いこと、

が求められる世の中にあって、

間違いや違和感こそが、自分の本当に大切にしたいものが何かを教えてくれているのだ、

という在り方が、私がクリパルヨガを16年間続ける中で受け取った最も大きなメッセージです。


誰もが、正しく、賢く、健康に、間違わず、美しく、楽しく、豊かに生きていきたいと願っています。

そう生きるために「何をするか」という方法を教えてくださる人もたくさんいます。

けれど、現実はなかなかそうはいきません。

大切なのは、やはりうまくいかないとき、そう生きられないときに、

どう自分自身や世界と関わったら良いのか、

道を見失ったとき、もう一度進むべき方向性を自分の中から見出すにはどうしたら良いのか、それなのだと思っています。


誰もがその智慧を、誰でもなく、どこでもなく、自分の中に持っています。

みんな、既に持っているのです。

養生ヨガは、落語のような、うまくいかなかったことを素直に話せる、それで共感し時に涙し、フフっと笑い合える。そんな場でありたい。

そして、私自身がそれを表現して生きていきたい。そう思っています。

クラスの皆さん、いつも本当にありがとうございます😌🙏




特別クラス「私とクリパルヨガ」アンケートより


・先生の歩んで来られた人生の一歩一歩の重みが、伝わってきて、涙が出ました。泣いた後は、なぜか、最近薄れていた安心感が、自分の中に戻ってきており、気付いたら少し眠っていました。(最近はこのほっと安心して眠くなるのが無かったので、貴重でした)


・毎回深い学びがあり、色々と乗り越えられてきた奏先生のお言葉だからこそと感じています。

とても優しくて深く色々と受け止められる奏先生だからこそ、与えられるものと思いますし、大変さもあるかと思います。コンパッションについて教えていただいたご本で学んでいます。Caring for others based on your sacrifice doesn't last. Caring must also feed you. Dalai Lamaまた色々と学ばせていただく機会を楽しみにしております。


・あかな先生はいつも真摯にご自分と向き合って来られてるからこそ、辛い時には人に助けを求めることが出来たり、またそれを理解されている周りのかたが支えてくれているのだなぁと思いました。
なので今回は身構えず、お話しをすっと受け入れて聞く事が出来ました。
そして意図を持つ大切さも理解出来た気がします。

私は未だに自分との向き合いが出来ていないのですが、なかなか人に助けを求められなかったり、今私はこの事でイライラしているんだなと理解しても、結果を急ぎ、ただそれを見ている事ができませんでした。

でもお話しを聞いて、なかなかマインドが受け入れない自分自身と何度も向き合い、身体が教えてくれると言う事を受けれる事が出来ました。

今までもレッスン中に何度も『大丈夫』と声かけして下さって、それが私の心の壁を崩していってくれたと言う感じがあります。

私も自分自身と向き合い、ブレない意図を見つけたいと思いました。


・私は事実を受け入れるのが難しく、周りにどう思われるのか、よく見られたいという
願望が強く、他人と比べてしまいがちなところがあります。問題が起きれば、すぐに解決しようと焦り、二年もヨガをしていても、俯瞰して物事を見ることができません。
講座を受けて、ただ呼吸して感じて、目の前のことを淡々とやっていく中で、自信はついてくるのかもしれないと思いました。自分を脅かしているのは自分という言葉が響きました。

外側で起こっていることは関係なく、自分はどう受け取るのか、どう思うのか。それは、

私次第なのだと思いました。

BRFWA習っていたのに、忘れていました。思い出させていただき、ありがとうございました。

*これはほんの一部ですが、アンケートにご協力くださった方々も、本当にありがとうございました。

養生ヨガ

Yoga & Ayurveda 身体と親しみ、自分らしく生きていくために

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