罪と罰
気付けば11月最後の日。久しぶりの投稿です🙏
外は強い風が吹いていて、明日からはグンと気温が下がるそう。
皆さま、変化するときはくれぐれも、スローダウンしましょうね。
合い言葉のようにいつも言っておりますが、くれぐれも・・・です。
ヤマ・ニヤマ
さてさて、
年明け1月末から、ヨガの実践の道においてとても重要な、ヤマ・ニヤマの講座を行います。
ヨガの八支則でもすべての実践の土台となる、大切な教えです。
「禁戒と勧戒」と訳されたりもする道徳的な考え方だけれども、ここで大切なのは、
決して「〜してはならない」「〜しなくてはならない」という、私たちがこれまで教えられてきた【ルールや規則】とは全く質の違うものであること。
養生ヨガのこの講座では、そこを「声を大にして」伝えたいのです。
ヤマ(抑制)
・アヒムサ(非暴力)
・サティア(真実)
・アステヤ(不盗)
・ブラフマチャリヤ(不過度)
・アパリグラハ(不貪)
ニヤマ(観察)
・シャウチャ(清潔)
・サントーシャ(知足)
・タパス(努力)
・スワディヤーヤ(自己探求・自己観察)
・イシュワラ・プラニダーナ(降伏)
この10個の項目=宝物を通して、自分自身と世界の関係性に注意を向けていきます。
クリパルヨガの本(書籍クリパルヨガ)の中で、ヤマ・ニヤマについて触れているところは極々わずかなのですが、
その僅かな部分が実に実に秀逸で、
ヤマ・ニヤマを超えたヨガの本質がここに在ることに、何度読み返しても、ああ、選んだヨガがクリパルヨガで良かった、と密かに感激するのです。
ヨガにおける10戒? 書籍クリパルヨガより(p229)
ヤマ・ニヤマは神の審判に基づいた『善悪の道徳』ではありません。
これらは、一人ひとりの心と魂に存在するプラスの特性を肯定するものです。
ヨガでは、罪や罰を言い渡す代わりに、それぞれの人の中に眠っている内なる感受性を目覚めさせ、高潔な人格を明らかにすることを目指しています。
ヨガの教えは、私たちが失った徳を、何世紀も埋もれたままの黄金の像に例えます。発掘された銅像は、綺麗にしなければなりませんが、表面を覆う土によってその像の美しさが損なわれたわけではありません。一人ひとりに内在する善が明らかにされるまで待つ姿勢を反映したヨガの倫理的な原則は、私たちが幼い頃から教えられた「汝は〜してはならない」というアプローチとはまったく違うものです。
中略
ヨガと道徳は同義語ではありません。
道徳は善か悪かという問題に関連します。
ヨガは、道徳的な成長を促す自己発達の統合的な道です。
「よい人」になりたいと切望するよりも、動機やエネルギーの源となる自分自身の個人的な必要性との繋がりを保つよう勧めます。
このエネルギーを人生の4つの目的に注ぎ始めると、自分の幸福と安寧のためには、「よりよい人」である必要があるとわかるのです。もしあなたが、精神的に成長を遂げた人に出会ったなら、彼らはどこまでも道徳的に映ることでしょう。さらにじっと観察すると、彼らの個人的な欲求は、もはや周囲の世界と矛盾することなく、自分自身と統合していることに気付くことでしょう。
病気は罪であり、罰なのか
私が、医療の世界で養生ヨガを立ち上げたのも、すべてここに在るといっても過言ではありません。
病気と健康を2つに分けたとき、健康な人は「優秀で」、病気の人はまるで「罪や罰を背負っている」かのように捉えられがちです。
実際、私自身も身体が強くなく、小さな不調から大きな病まで、苦しみがやってくる度に、
自分自身を責めましたし、何か罰を受けたような、罪悪感に苛まれるような気持ちになったものです。
自分の何が悪かったのだろうと、自分自身はもちろん、生きてきた世界や周りの環境を恨めしく思ったりするのです。
長くかかりましたが、今は私は、病とは、自分自身の生命の本質が、本当に大切なものが何かを伝えるために現すメッセージなのだと、理解しています。
病というのは、「知性の誤り」と表現されることもあります。
ヨガで言う「知性」とは、決して知識を多く持っているとか、弁が立つとか勉強が出来るということではなく、「真実とは何かを識別する力」のことです。
変化するものと、そうでないものを識別する力、自分自身とそうではないものを識別する力。
そして、今の自分にとって何が必要で、何が必要でないのかを識別する力・・・
私たちは、生きていれば様々な理由でそれを見失います。
見失っても良いのです。
私たちのエゴがそれを見失っても、私たちの生命の本質は、ちゃんと自分自身のことをよく分かっていて、それを教えてくれます。
そして、病や不調や違和感として、それを表現します。
それを感じ取り、識別する力を、ヨガは目覚めさせてくれるのです。
違和感だからと排除したり、
痛みを押さえつけたり、見なかったことにすると、それはやがて大きなメッセージとなって現れます。
ただ、違和感とともに居ることや、身体の声を聴くことを、私たちはこれまでの教育で教わってはきませんでした。
クリパルヨガでは、少しずつ少しずつ、反射的な緊張や抵抗を受け入れながら、ただ起きていることと共に居る在り方を身に付けていきます。
これは、特別な力ではなく、誰もが本来持っている力です。
もちろん、命を落とすような病は苦しいものですが、病をきっかけに初めて自分自身と向き合った、大切なことに気がついた、という人は少なくありません。
苦しいことを我慢しろ、と言っているのではありません。
人生には困難な状況は付き物です。
だからこそ、本当の意味で「起きていることに反応するのではなく、ただ共に居る」在り方が、大切になるのです。
そこに、あなたが本当に大切にしたい何かが、眠っています。
表面の土(病や不調、価値観、信念、社会的評価など)によって、あなたの本当の価値は失われることはないのですから。
むしろ、その土で覆われているからこそ、守られてきた美しさがあります。
病気は、罪や罰ではありません。
私たちの生命というのは、本当に偉大で完全な存在です。
たとえ病気であっても、障害があっても、年老いていても、
ほんの僅かな期間しか生きられなくても、
ひとりひとりが完全な、あなたにしか表現できない大切なものを持って生まれてきていて、
そして、あなたがまだそれに気がついていなくても、生命はそのことをちゃんと知っています。
そして、ひとりひとりがその宝物に気づき、それを生きるとき、世界は真の意味で調和しているのです。今、この瞬間も。
あなたが持って生まれてきた本当の宝物に気付くために、ヨガの実践はあります。
それは、洋服やバッグやお金などの物質的ななにかではないのです。
もし、あなたが今人生に悩んでいたら、
人間関係にストレスを抱えていたら、自分を責めていたら、
一緒にヨガをしましょう。ぜひ、講座に参加して下さい。
何かを頭で理解する必要はないのです。大切なのは、「身体」で体験すること。
ヤマ・ニヤマの講座でも、アーユルヴェーダの講座でも、私が大切にしたいことは、やっぱりそこです。
身体とともに。呼吸とともに、ただ、今を生きよう。
*養生ヨガクラスは12月31日までで、春までお休みとなります。
お問い合わせを頂いておりますが、基本的には新規の参加は現在は受け付けておりません。
個人セッションは、12月中はご紹介者と養生ヨガクラスのメンバーのみ承りますので、そちらをお申し込みくださいますようお願い致します🙏
ヤマ・ニヤマの講座は、基本的に過去に養生ヨガクラスにご参加頂いた方か、個人セッションを受けて頂いた方向けの講座となります。
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