音楽と直接体験

私を生かしてくれている要素に、ヨガとアーユルヴェーダの存在はとても大きいのだけれど、それと同じくらい「音楽」もまた、常に常に、私を支えてくれています。

もちろん、世界中の人たちにとって、音楽が生きる力になっていることは言うまでもなく。

音楽はプラーナと直結している。生命にとって欠かせないエネルギーそのものなのだもの。

エネルギーに触れることがヨガの目的だから、音楽はとても大切。

そんなわけで、先日の特別クラスでも、曲を皆さんとシェアさせてもらったのだけど、音楽も時々紹介していきたいなあと思っています。



ACIDMAN

ACIDMANというバンドの、あるアルバムと曲について今日は書きます。

私がはじめて彼らについて知ったのは、まだヨガと出逢う少し前、2004年頃。

仕事先で出逢った同い年のおしゃれな女の子が、彼らのライブ(確か渋谷AXだった)に連れて行ってくれたからでした。

私は当時、彼らの音楽をなにも知らずにそこに行ったのだけれど、もう感動で圧倒され、息をのみ、立ちすくんでしまったことを身体で覚えています。


そのライブは「equal」というアルバムを引っさげてのライブだったのだけれども、音楽性の幅の広さから、音の重奏感、歌詞のメッセージ性、見た目(クール)、映像、存在感・・・。ただただ、「すごい」という感動。

このアルバムは穴が空くほど(笑)聴いたのだけど、たぶん、日本の音楽シーンでも何本かの指に入るくらい、アルバムとしての完成度は完璧なんじゃないかと思うのです。

音楽って、心の琴線に触れて、生命そのものを強く揺さぶる可能性のあるもの。

プラーナ。

そういうものを感じさせる音楽作品、アーティストは唯一無二なのだと思うのですが、彼らの「equal」というアルバムも、間違いなくそういう作品です。



廻る、巡る、その核へ

その、equalというアルバムのラストを飾る大曲。

ブログで最初に紹介するにはディープ過ぎる曲のようにも思うんですが、まあそれも私らしくて・・・いいや。笑


私は11年前、インドに行ったとき、移動中の電車の中で、この曲とこのアルバムを繰り返し繰り返し、聴いていました。

バラナシ(ガンジス川流域の聖地)からハリドワール(ヨガの聖地・リシケシの最寄りの町)に向かう、10時間以上の電車の中から見るインドの広い広い大地。


今よりも私はヨガについて、インドについて、多くのことを知らなかったけれども、生命がなぜこの世に誕生し、身体を持って生きていくのか、インドはそれを根本から問いかけるような土地で、自然と私はiPhoneに入っていたこの曲を聴いていました。

(というより、実はこの曲の歌詞には【サールナート】という仏教の聖地の名前が出てくるのです。バラナシの郊外にある、仏陀が悟りを開いた後に、はじめて教えを説いた場所。鹿が多く住むこのサールナートの地。そこを訪れた際もずっとこの曲のことが頭にありました。)


このPVは、当時文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で優秀賞を受賞したとのこと。


1本の映画を見るくらいの迫力があります。

このPVを見る度に、私はアーユルヴェーダの古典書のある言葉を思い出します。


自分が宇宙の中に広がり、宇宙が自分の中にあることを理解し、
パラ(最高、超越的なもの)とアヴァラ(劣ったもの、世俗的なもの)を見るならば、
知識に基づいた心の静けさは決して崩れることがない。

チャラカサンヒター 身体篇


同じ事を、仏教でも言っています。

世界に存在するあらゆるものは、それぞれの密接な相互関係の上に成り立ち、
互いに融合し調和を保ち、平和で秩序ある世界を構成している。
1つはすべての中に、全てを1つの中に観ることができます。
あらゆる事象は心が転じたものと観察し、形や時間にとらわれる事なく、宇宙の真理を探究する努力を怠らない。

東大寺大仏殿 華厳経の教え


私が友人と行ったライブでも、ラストにこの曲が、このPVをバックに演奏されました。

私はまだヨガに出逢う前だったのですが、直感的にこの曲はこの宇宙全体の生命の繋がりを歌っているのだということを理解して、あまりの壮大さに度肝を抜かれた思いがしたものでした。


それからあっという間に歳月は流れ、最初にこの曲と、ACIDMANと出会ってから20年近い歳月が流れようとしているのですが、今聴いても全く薄れないクオリティで驚きます。



自分と自分ではないもの

私たちはつい、自分の命を自分でコントロールできるものだと錯覚します。

また、自分以外の命も自分でコントロールしようとして、期待したり絶望したりして、苦しみます。

幸せになりたい、

完璧でありたい、

自分が、自分の周りの人間がもっと好ましい人間であって欲しい、

もっと良い社会にしたい、

病気にならず、苦しまず、安全で居たい。

誰もがそう願っていながら、苦しむのはなぜなのでしょうか。


それは、生きていることの実感と、生かされていることの実感を感じることが圧倒的に減っているからなのではないかと思うのです。

当たり前のことのようですが、この物質世界のすべてのものは変化していて、生まれては成長し、やがて衰え、消えていきます。

この曲でもそれが表現されています。


けれど、私たち人間だけが、その事実を無視するかのように、私たちは「変化を受け入れずに」生活しています。


この世界や私たちの生命を構成する粒子や分子は、常に振動し変化し続けているというのに、私たちは変化することを恐れ、収縮し、硬くなり、自分とその周りの世界をどうにか安全にコントロールしようと「変化に抵抗」しているのです。

女性が月経を煩わしく思い、月経を無くしてしまおう(服薬でコントロールする)としていることなんて、その最たるものだと思うのですが、それはまた別の機会に。。。。


ヨガやアーユルヴェーダが目指していることは、

その変化とそれに対する反応「暑い・寒い・快・不快・好き・嫌い・良い・悪い」など、

そのものを自分だと同一化するのではなく、自分ではないと分離するのでもなく、

その変化そのものを生み出しているエネルギーそのものに触れていくこと。

すべての繋がりの源にあるものを、思い出して生きていくことにあるのです。


この曲の根底に、私はそれを感じました。

ヨガと同じことを歌って、そこに触れるような音楽だなと。

(何言っているのかわからん!っていう方が多いかもしれないけど・・・🙏)


変化そのものに囚われているときは、私たちはいつまでもその変化をコントロールしようとしては、苦しみます。

あれこれと情報を得ては試し、身体に良いことをたくさんして、安全に安全に、石橋を叩いて渡っていたら、橋が壊れて道がわからなくなってしまった、という経験、ありませんか?

もちろん、必要に応じて「選択」し、「対応」して調和を目指していくことは大切ですが、

「いろんなことをやっているけどうまくいかない」と感じる時には、

「生かされていること」を思い出し、手放していくことで十分だったりするのです。


ただ、苦しみの中にいるときほど、人はそれを忘れてしまいます。



直接体験


生命そのものに触れる体験というのは、本を読んだり、誰かの話を聴いただけではなかなか得られません。

このブログだってそうです。

身体を使って「体験」することではじめて実感できることです。


クリパルヨガではそれを「直接体験」と呼びます。

・生命力が活性化する

・身体への気付きが高める

・直感が目覚める

・深い意識状態に入る(瞑想)

これはいわば、「プラーナ=生命エネルギーに触れる体験」のことです。


それが、自然から離れ、現代を生きる私たちに圧倒的に不足しているのだろうと思います。

この身体を使った直接的な体験が、頭や心で自分が自分だと思い込んでいたことから、自分自身を自由にしてくれるのです。


すべてのものはやがて変化していくけれども、その変化によって自分の本質は失われるものではない。

命はいつも廻り、巡り、完璧な形で今、この瞬間現れているのだということに気付くことができます。


プラーナに触れること。

だから、私はヨガを勧めるし、音楽を勧めるし、私自身は踊ることは苦手だけど、身体に没頭するほど踊ることだって、とってもお薦めします。

無心で音楽に没頭してください。演奏すること、歌うことなんか最高。


時には、自分の渡る橋が何で出来ているかなんて気にせず、ただ無心に渡ることがあったって良い。

この身体も世界も、すべて完璧に表現されたものなのだから。

そして、たとえ不完全であったとしても、完全な形で「私」となって現れているのだから。

生きていると同時に、生かされている。だとしたら、どう生きるのか、なぜ生きるのか。

この曲は、忘れかける大切なことを思い出させてくれるような、私にとって大切な1曲です。

良かったら、ディープな曲ですがぜひ聴いてみてくださいね。


素晴らしい音楽を生み出す人たち👏

私も頑張ろう。



写真はインターネット上からお借りしました。

インドの広い広い大地。電車から見えた景色ととても似ている。

インド行きたい。。。


歌詞
例えば夜空
そう あれはスーパーノヴァ
廻る 与え 許す
願う ただ悠々と


讃えられた日と

不条理なこの身を

仰いで 嘆いては

輝ける木々を求め

生まれ変わりの中で

手にした1つの音を

鮮やかに思い出す

目を閉じて

次に出会う日はまた

踊りの輪を描いて

未来を願うのだろう


命の素粒子

そうそれは

スーパーノヴァ

サールナート

あの場所へ

巡る 深い 底へ


風、移動、土、浮上

呼吸、思考、共存

命の巡りと未だ見ぬ木々の下へ

生まれ変わりの中へ

遙かなる音乗せて

因果の船へ帰る

身を越えて

次に出会う日はまた

踊りの輪を描いて

未来を願うのだろう

願うのだろう

願うのだろう

養生ヨガ

Yoga & Ayurveda 身体と親しみ、自分らしく生きていくために

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